CMをタイショクした坂野です
自己紹介
はじめまして、6月末で旧CX事業本部を退職する坂野と申します!
奈良県出身、CM歴は4年目の32歳です!
私のジョインブログを読みながら書いてます。
コロナ禍に入社して気がつけば4年が経ちました。その間に色々なことがありました。
やりたかったオフショア事業に関わり、スクラムマスターとして働き、PMとして大きな案件に関わる。目まぐるしいくらいに日々が過ぎ、家庭を持ち、奈良にUターンし。
今記事を書いているのは5月末ですが、6月末を持ってクラスメソッド株式会社を退職します。
ジョインブログがあればタイショクブログがあっても良い。その方が面白いと思って筆を取っています。
なお、この記事は私個人の思いつきなので、会社をAgeるでもなく、Sageるでもない、感じたままに徒然草としたいです。
退職のきっかけ
私が転職を考えたのは、ちょうど去年のこの時期でした。きっかけは忘れましたが、いまだにコアになっている理由は事業会社に戻りたいと思ったことです。
事業会社に戻りたいと思った理由は、パートナーとして2年くらいPMをさせていただいた企業の方が大きめの機能をリリースした時、ユーザーフィードバックを共有してくれ、今後の更なるビジョンを伝えてくれたことにあります。
その喜び、熱量をパートナーとして働く私も同じく感じはするのですが、全振りで喜んでいるかといえばそうではなく、どこか受託をしているからと思っている、坂野が冷静な様子でいつも見ているのです。
100%本気で向き合い、本気で苦しみ、喜びたい。まだまだ人生の経験値を稼いでいる私にとって、事業会社に転職し働くこと以外の選択肢は見つかりませんでした。 これが色々なきっかけの中で、いまだにブレない理由です。
弊社で働いて良かったこと・悪かったこと
良かったこと
- 様々な経験がつめた
- 右も左も分からないスクラムマスター経験。右と左はわかるようになりました。真ん中はまだ探し中です。
- いろんな出会いがあった。
- 私はかつてグローバルチームに属していました。その中で計4名の新卒インドメンバーのチューターをしました。毎日時間をお互いとって日本語のレッスンをして、日本語検定にトライをし、日本での生活をより楽しめるように教鞭を取りました。彼ら・彼女らは私の想像以上のスピードで日本語を習得し、日本文化を学び、良き友達になってくれました。まさか日本語教師をするとは思っていませんでしたが、成功体験として今後も度々思い出す誇りのある仕事になりました。
- コロナ禍でテニスを始めました。そのノリでテニスサークルを立ち上げました。どんどん参加してくれる人が増え、部署の垣根を超えて汗を流しました。純粋に楽しかったです。スポーツの力を感じました。
- AWSについて詳しくなった
- 案件の中でPMをやりつつAWSの操作をマネコンでずっとやってました。私がやらなくても良かったかもですが、私がやった方が早かったことや、お客さんに早く1次回答を提供したかったことから、できる限り操作してました。そのおかげでAWSのことについて入社前の知識よりも遥かに多くのインプットを得ることができました。
良くなかったこと
と言っても今は特に思い当たるものはありません。もしくはこのブログに書くには瑣末なことばかりです。
強いていうなら、どんどん整っていく会社にもっとカオスさが欲しかった、くらいでしょうか。
常に荒波に乗っているくらいの方がまだ今の私は楽しめて、整い充実していく会社に凄みを感じる一方物足りなさを感じはじめた。これは私の変なところが出ているんだと思います。
びっくりしたこと
振り返ってみて自分自身びっくりしたことがあります。
2年半ともにした案件企業のファンになったことです。 案件に関わるまでは、別の会社のサービスを使ってました。でも関わっていく中で、街中で見かけたらそちらで購入するようになりました。積極的に物も買うようになりました。 それは企業さまの多くの方の顔を知っていて、ポリシーや熱量に感動し、一緒にサービスを作ったという自負があるからです。
得てして退職する時関わった会社やサービスを悪く思うことが多かったりしますが、いちファンとして今後のサービス発展を願い心待ちにできること、自身でも驚いた話でした。
4年を振り返って何を思フ
冒頭にも書きましたが、気がつけば4年目です。あっという間でした。
思い出そうにもあまりの速さに思い出せないことだってあります。
その中で自然と湧き出てくる感情は
『お世話になったなあ』
です。
それは弊社、メンバーにもそうですし、関わってくださったお客様にもです。
私が4年のうち半分を過ごしたプロジェクトがあります。先日大きな山場を乗り越えました。
全ての案件において、何かしらの成長を自分で感じることはできますが、やはり年数に比例するもので直近2年半PMをさせていただいた案件は特に特に『お世話になったなあ』が強いです。
PMとして、スクラムマスターとして全然実力もなく、ノリで乗り切っていた当初と比べ、自分のスタイルはこれ!実現できなかったことはこれ!あの時めちゃくちゃしんどい思いをして、笑い話にもできるし糧にして次の会社にもいける! あの時無理難題に思えることを任せてくれて有難う!今なら気分が乗るかはわからないけど余裕でこなせるよ!!育ててくれてありがとう。
そんな気持ちでいっぱいなのです。繰り返しますが、弊社にも、お客さんにもそんな気持ちなのです。
謝辞
あえて名前を出さずに感謝の意を書きます。自分のことかも!と思って読んでください。
〇〇さん、私が自信を喪失し案件から逃げたくキャリア相談した時、案件の切れ目までいるように示してくださり、ありがとうございました。 最初何故すぐキャリアチェンジさせてくれないんだろうと若干思いましたが、今ならあの時の意図を理解できているつもりです。 おかげで自信は回復し、次の会社ではさらに強くなった坂野で活躍できます。
〇〇さん、私の気持ちが落ち込んでいる時、案件が違うにも関わらず毎週1on1で悩みを聞いてくれてありがとうございました。毎度親身に話を聞いてくれ、時に飲みに連れ出してくれたおかげで、最後までやり遂げることができました。
〇〇さん、〇〇さん、毎週末一緒にゲームを朝までやってくれてありがとうございます。あまり出社をしない自分でしたが、お二人のおかげで孤独を感じず、息抜きしながら4年間走り切れました。引き続きプレデター目指して頑張りましょう。
〇〇さん、お客さんの立場でありながらいつも同じ会社のメンバーのように接していただきありがとうございました。 一緒に仕事をする上で、これほど心強くまた楽しく感じる方はおられませんでした。また、いつも助けていただきありがとうございました。 私も次の会社では事業会社となるので、〇〇さんのようにベンダーと伴走できるように頑張ります。
そして最後に〇〇さん、入社されてきてすぐ案件のカウンターパートを引き受けて下さりありがとうございました。大変な役割を代わってくれて救われました。そして、〇〇さんの仕事の進め方にたくさんの得るものがありました。今後の私の仕事の進め方に取り入れさせていただきます。 そして何より一緒に働けてとても楽しかったです。今後のご活躍、ますます楽しみと共にお祈り申し上げます。